MIPとは
MIP設立の背景
現代社会が抱える問題

アスリート・文化人達の思い
自分がこれまでに培ってきた「経験」を役立てられないか?自分たちが経験した「感動」を社会に伝えたい。
世界の舞台で活躍する人材を育てたい。 子どもたちの感性を育みたい。

アスリート達を取り巻く問題

MIPのMISSION
- MIPスピリッツを伝える事による青少年の健全育成
- 日本のスポーツ文化の向上
- アスリートのセカンドキャリアの構築
- 新しいスポーツ産業の創造
MIPスピリッツ
MIP(ミップ)スポーツ・プロジェクトはトップアスリートと文化人が集まり 「モラル・インテリジェンス・フィジカル」 のバランスの取れた人間形成に寄与することによって スポーツ文化の向上を目指し設立されたNPO法人です。
私達の考えるモラルとは

私達の考えるインテリジェンスとは

私達の考えるフィジカルとは

ノウハウと活動内容

MIPメンバー
発起人(役職は2001年設立当時を記載しています)
氏 名 | 備 考 |
---|---|
秋山 富一 | 住友商事株式会社 名誉顧問 |
浅井 光昭 | 住友ゴム工業株式会社 代表取締役社長 |
宇野 隆一郎 | ジェイ・スカイ・スポーツ株式会社 代表取締役社長 |
大久保 悟 | コピーライター |
大宅 映子 | 評論家 |
尾山 末雄 | NSCAジャパン 前事務局長 |
瀬戸 雄三 | アサヒビール株式会社 代表取締役会長/旭化成社外取締役・慶應義塾評議員、理事 |
藤原 菊男 | 元島津製作所社長 |
役員リスト
役 職 | 氏 名 | 備 考 |
---|---|---|
理事長 | 倉石 平 | 元バスケットボール日本代表/早稲田大学スポーツ科学学術院教授 |
副理事長 | 渡部 近志 | 元法政大学経済学部教授/元法政大学陸上部監督 |
理事・事務局長 | 相澤 雅晴 | 元ラグビー日本代表 主将/株式会社MIPマネージメント 代表取締役社長 |
理事 | 大久保 衞 | 医療法人貴島会・ダイナミックスポーツ医学研究所 所長 |
理事 | 大塚 武彦 | 株式会社WDI |
理事 | 金 哲彦 | NPO法人ニッポンランナーズ 理事長 |
理事 | 片山 卓哉 | 元バドミントン日本代表/コンディショニングルームKATAYAMA 代表 |
理事 | 斉藤 雅樹 | 東京読売巨人軍監督(二軍監督) |
理事 | 桜井 康彦 | 元中央大学 バスケットボール部 ヘッドコーチ |
理事 | 田中 茂 | 元ハンドボール日本代表/豊田合成ハンドボール部 監督 |
理事 | 土井 龍雄 | 医療法人貴島会・ダイナミックスポーツ医学研究所顧問 |
理事 | 中村 好男 | 早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授 |
理事 | 平井 博史 | 中部学院大学 子ども学科 准教授 |
理事 | 藪木 宏之 | (公財)日本ラグビーフットボール協会 広報・プロモーション部長 |
監事 | 山本 哲生 |
評議役員
氏 名 | 備 考 |
---|---|
金子 祐之 | プロスキーヤー |
川端 絵美 | 元アルペンスキー五輪代表 |
駒井 隆一 | 関東学院 ラグビー部 コーチ |
佐野 元国 | 元東京読売巨人軍 バッテリーコーチ |
佐取 広久 | 株式会社サンプラス 代表取締役 |
玉利 齋 | 社団法人日本健康づくり連盟 理事長 |
永嶋 哲夫 | クリエイトプランナー |
中竹 竜二 | 早稲田大学 ラグビー部前監督/(公財)日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター |
三浦 豪太 | 元アルペンスキー五輪代表 |
南牟礼 豊蔵 | 元阪神タイガース外野手 |
参加アスリート
アメリカンフットボール
剣道
ゴルフ
サッカー
水泳
ソフトテニス
テニス
卓球
バスケットボール
バドミントン
バレーボール
ハンドボール
ホッケー
野球
ラグビー
陸上競技
レスリング
アメリカンフットボール
安部 奈知 (あべ なち) |
元NFLヨーロッパプレーヤー |
日本大学でアメリカンフットボールを始める。日本大学の1988〜90年の日本選手権3連覇に貢献。社会人では、リクルート・シーガルズに入団後、サイズを活かしたブロッキング、機動力を武器にTEへコンバート。96年、98年にはチームの日本選手権、ライスボウル優勝の中心選手として活躍した。97年には日本初のNFLヨーロッパのトライアウトに合格(その後通算3度合格)。99年アメリカンフットボールの第1回ワールドカップで、日本代表で出場し、第1回ワールドカップ決勝戦(対メキシコ)では、決勝タッチダウンとなるパスレシーブを決め、見事優勝を遂げる2002年のソルトレークオリンピック五輪ではボブスレーの日本代表として出場。現在は、コーチとしてXリーグオンワードスカイラークスのトップ選手を指導している。 |
山谷 拓志 (やまや たかし) |
慶応大学4年時はバイスキャプテンを務め、自身も学生日本代表、学生オールスターに選出される。1993年リクルート入社し、日本のアメフト界の名門リクルートシーガルズに入部。97、98年度にバイスキャプテンを務める。96、98年度日本選手権(ライスボウル)優勝。その後、リクルートシーガルズのアシスタントゼネラルマネジャー、オフェンスコーチとして02年度日本社会人選手権優勝。現在、NPO法人フラッグフットボールマネジメントジャパン理事長等を務める。 |
遠藤 紀彦 (えんどう のりひこ) |
一ツ橋大学卒業後、リクルート・シーガルズに入団。ラインバッカーとして活躍。96年、98年にはキャプテンとしてチームの日本選手権、ライスボウル優勝に導く。2001年度はXリーグCENTRAL DivisionでMVPを獲得。日本代表としては99年 アメリカンフットボー ルの第1回ワールドカップ出場し、見事優勝を遂げる。続く2003年のワールドカップでも中心メンバーとして2大会連続の金メダル獲得に大きく貢献する。 |
新井 聖士 (あらい さとし) |
日本体育大学卒業後、日本アメリカンフットボール界の名門オンワードスカイラークスに所属し、ディフェンスバックとして活躍した。2003年のXリーグでは、初優勝が掛かる大一番で、先制点に結びつくパントブロックを決め、勝利に貢献しチームを優勝に導いた。 |
剣道
上原 祐二 (うえはら ゆうじ) |
高校時に全国高校選抜大会団体優勝。大学時には、全日本学生剣道優勝大会団体準優勝や個人でも全日本学生剣道選手権大会3位等数々のタイトルを獲得した。現在は関東実業団剣道大会3連覇を果たした富士ゼロックス(本社)剣道部所属。全日本都道府県対抗優勝大会を東京都代表として活躍した。 |
國香 利一 (くにか としかず) |
全日本学生剣道優勝大会優勝 |
兵庫育英高校時代は、インターハイを団体・個人ともに3位を獲得。法政大学に進学し、関東学生剣道優勝大会を優勝1回、2位1回、 全日本学生剣道優勝大会を優勝1回、3位1回という成績を残す。その後、社会人として全日本都道府県対抗剣道大会を3位に3回輝く。 |
仲田 尚史 (なかた ひさし) |
全日本学生剣道優勝大会(団体)優勝 |
法政大学時代は、団体・個人の両分野で活躍。全日本学生剣道優勝大会を団体では、優勝1回・3位1回、個人ではベスト8まで進出した。現在は、東日本キヨスク株式会社に入社し、実業団大会や全日本都道府県対抗剣道優勝大会などで活躍。また、大学の母校にて後輩の指導も行っている。 |
ゴルフ
田嶌 豊太 (たしま とよた) |
現在、女子のトップ選手の指導を中心に活躍。男子プロも片山晋呉を始め多くのプロを指導。 |
ホッケー
山中 学 (やまなか まなぶ) |
元ホッケー日本代表 |
岩手県沼宮内高校から、法政大学を経て表示灯へ。表示灯では選手、コーチとして日本選手権優勝、日本リーグ制覇等数々のタイトルを獲得した。現在は日本ホッケー協会で選手の育成、強化にあたる。 |
栢元 亮 (かやもと あきら) |
元ホッケー日本代表 |
富山県立石動(いするぎ)高校進学と同時にホッケーを始め、高校選抜(全日本ユース)に選出される。明治大学に進学し体育会ホッケー部に入部、3年の時に、全国学生選手権大開(インカレ)で優勝。また、その年から全日本代表に選出される。大学卒業後、表示灯(㈱)入社。同社ホッケーチーム(現、名古屋フラーテル)に入部、在籍4年間で全日本実業団選手権優勝4回、国民体育大会優勝3回、全日本選手権優勝3回。また、在籍中の平成2年に北京アジア大会出場。 (㈱)ゴールドウインに入社と同時に、同社女子ホッケー部コーチ就任。その後、監督に就任。その間、日本リーグ優勝3回、国民体育大会優勝2回、全日本社会人選手権優勝3回、全日本選手権優勝2回。また、女子全日本代表チームのアシスタントコーチとして、アジアカップ、シドニー五輪予選などに参加。 |
レスリング
太田 章 (おおた あきら) |
早稲田大学スポーツ科学部助教授 |
全日本大学選手権三連覇。全日本選手権五連覇。早稲田大学在学中の1980年モスクワオリンピックで日本代表に選出され(日本不参加)、その後日本のレスリングの第一人者として、ロサンゼルスオリンピック銀メダル、ソウルオリンピック銀メダル等数々の輝かしい成績を残した。オリンピックではバルセロナ大会でも代表に選出され、日本レスリング史上初の4大会連続の日本代表選手となった。世界レスリングマスターズ選手権では金メダルを獲得した。 |
サッカー
戸塚 哲也 (とつか てつや) |
元サッカー日本代表 |
1973年に読売サッカークラブに入団。78年16歳でユース(20歳以下)日本代表に選出。1979年に当時史上最年少(17歳)で日本リーグデビューを果たす。80年ワールドカップスペイン大会アジア予選で日本代表に選出され、その後約10年に渡り日本代表として活躍した。 日本リーグの読売クラブ、Jリーグの東京ヴェルディ1969に所属し、チームでは日本リーグ優勝5回、天皇杯優勝2回、Jリーグ年間チャンピオンシップ優勝2回、個人では日本リーグ得点王2回、ベストイレブン2回等数々のタイトルを獲得する。97年のビーチサッカー世界大会(ポルトガル)では初出場の日本代表のメンバーとなる。01年に東京ヴェルディ1969の巡回コーチ就任。元FC岐阜監督。 通算成績:日本代表国際Aマッチ22試合出場/3ゴール |
本並 健治 (ほんなみ けんじ) |
清風高等学校から大阪商業大学へ入学。大学時には大学選手権3連覇・インカレ3連覇を達成し、日本選抜に選出される。1986年に松下電器産業サッカー部(現・ガンバ大阪)入団し、日本リーグ、Jリーグで中心選手として活躍した。94年にはサッカー日本代表に選出。97年ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)に移籍。01年に現役を引退した。現在は、京都産業大学・東海大学仰星高等学校のコーチ、またサッカーの解説者として多くの番組に出演、解説を行っている。現在、日本のサッカーコーチのトップ資格「S級ライセンス」を目指しカリキュラムに参加している。 Jリーグ出場 209試合 日本代表国際Aマッチ3試合出場 |
藤島 信雄(ふじしま のぶお) |
1970年代の日本を代表するMF。国際Aマッチ64試合出場(歴代11位)、7ゴールをあげ、主将として日本サッカー界を牽引した。日本リーグでは、日本鋼管の中心選手として活躍。現役引退後同チームのコーチとして天皇杯優勝等のタイトルを獲得する。99年から2年間はYKKの監督を務め、チームのJFL昇格を果たす。 現在は宮城県でJリーグを目指すデポルテFCの強化部長を務める。 |
菊池 利三(きくち としみ) |
Verdyサッカー・スクール・岩手・花巻代表 |
遠野高校サッカー部から読売クラブ(現:東京ヴェルディ1969)へ入団。左サイドバックとして95年セカンドステージ優勝などに貢献した。また、アトランタオリンピックアジア最終予選では日本代表として、28年ぶりのオリンピック出場権獲得に大きく貢献する。 現在は、Verdyサッカー・スクール・岩手・花巻の代表として、小学生から高校生までを指導している。 |
小川 章(おがわ あきら) |
岩手県遠野市出身。30年に渡り、全国で小学生を対象としたサッカークリニックを行っている。また高校サッカー等の解説も務める。現在は、F.C.VALIE都留のヘッドコーチを努めている。日本体育協会・ 日本サッカー協会公認A級コーチ。 |
保坂 信之(ほさか のぶゆき) |
元浦和レッズ 元フットサル日本代表 |
高校時代は、多くの日本代表選手を輩出する帝京高校で全国大会3位となり高校選抜としてベリンツォーナ国際ユース大会へ参加。U19サッカー日本代表にも選抜される。その後、バルセロナ五輪サッカー日本代表候補に選ばれ、Jリーグでは、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)、浦和レッズで活躍する。また、 フットサル日本代表としても活躍した。 |
田村 忠義(たむら ただよし) |
ガンバ大阪 |
滋賀県草津東高校から98年にJリーグガンバ大阪に入団。ガンバ大阪でMFとして活躍した。 その後、引退し中京大学へ入学。中京大サッカー部を全日本大学サッカー選手権大会優勝に導く。また、ユニバーシアード日本代表にも選出。 現在は滋賀でJリーグを目指すFCMi−Oの代表取締役。 |
望月 聡(もちづき さとし) |
現浦和レッズJrユースコーチ |
大阪商業大学では、総理大臣杯優勝2回、大学選手権優勝3回の原動力となり、卒業後に日本サッカーリーグの日本鋼管へ入社。Jリーグ発足後は浦和レッズ、京都パープルサンガーでプレーした。日本代表としても、ユース代表、神戸ユニバーシアード代表と各年代で選出され、90年イタリアワールドカップアジア予選ではMFとして活躍した。 指導暦は、京都パープルサンガ、ヴィセル神戸、大宮アルディージャでコーチを務め、現在は、浦和レッズJrユースチームで監督を務める。 |
小田島 隆幸(おだじま たかゆき) |
(財)日本サッカー協会公認B級コーチライセンス |
神奈川県出身。習志野高校では、インターハイ優勝、国体優勝を果たし、中央大学に進学主将としてチームを引っ張った。 大学卒業後は、モンテディオ山形に入団。その後ザスパ草津に移籍をし、コーチ兼選手、フロントスタッフ兼選手も務めた。現在は、サッカースクール等で多くの子ども達にサッカーの指導を行っている。 |
アシルオグル セバハティン |
トルコ元トルコリーグ(プロ)プレイヤー FIFA公認国際GKコーチ・A級コーチ |
1981年から18年間、トルコのプロサッカーリーグでゴールキーパーとして活躍。引退後は、愛知FC・中京大中京高校・名古屋FC・名古屋学院大学のGKコーチを務めた。 FIFA公認国際GKコーチ・A級コーチのライセンスを取得し、中京大学中京高校では、U−17日本代表の選手を育成した。 現在は、中京大学のGKコーチを務めている。 |
戸倉 健一郎(とくら けんいちろう) |
プリュスサッカースクールマスターコーチ |
青山学院大学卒業後、当時、三浦和良、武田修宏、ラモス瑠偉等を擁し、Jリーグをリードして来たヴェルディ川崎に入団。その後、川崎フロンターレ、ガンバ大阪、京都パープルサンガ、湘南ベルマーレと数々のチームで活躍した。現在は、プリュスサッカースクールのマスターコーチとして、多くの子ども達のサッカーの指導を行っている。 |
沢入 重雄(さわいり しげお) |
元名古屋グランパスエイト 現中京大学サッカー部監督 |
サッカーのメッカ静岡県清水東高校から法政大学へ進学、その後トヨタ自動車に入社。Jリーグ開幕と同時に名古屋グランパスエイトで活躍。名古屋グランパスエイトでは、背番号10を背負い主将を務める等中心選手としてチームを引っ張った。また、1990年には日本代表にも選ばれプレーした。現在が中京大学サッカー部監督として多くのアスリートを指導している。 |
清野 乙彦(きよの おとひこ) |
元名古屋グランパスエイト 元フットサル日本代表 |
1991年に、ブラジルの名門コリンチャンスでプロデビュー。その後、ドイツの名門バイエルンミュンヘンでドイツ代表のハマン等とトップを争う。日本では、名古屋グランパスで活躍する。 引退後は、「アートフットボール」を創造し、全国で普及活動を行っている。また、現役フットサル選手として日本代表を目指しながら、全国で小学生を対象に指導を行っている。 |
堀井 岳也(ほりい がくや) |
クラッキサッカースクールコーチ |
2006年に現役を引退し、現役時代は持ち前のスピードを生かし、数多くのゴールとチャンスメークでチームの勝利に貢献した。2006年にはヴァンフォーレ甲府のJ1初ゴールも記録。現在はヴァンフォーレ甲府の普及コーチも勤める リーグ通算 221試合出場 38得点 、ナビスコカップ 13試合出場 3得点、天皇杯 16試合出場 9得点 |
西村 英樹(にしむら ひでき)※左 三好 毅典(みよし たかのり)※右 |
元サンフレッチェ広島 元U-18日本代表※西村 ガイナーレ鳥取※三好 |
ガンバ大阪ユース出身、その当時には、U-18日本代表に選出される。高校卒業後に、サンフレッチェ広島に入団。同年、JFL残留争いをしていたSC鳥取にレンタル移籍され、チームの残留に大きく貢献。その後、一度広島に戻るが、現在は、ガイナーレ鳥取の主力として活躍している。※西村 大阪学院大学出身、関西学生サッカーリーグ2部Bブロック、ベストイレブン・ベストキャプテン受賞。 卒業後は、佐川急便SCに所属後、現在は、ガイナーレ鳥取で活躍している。※三好 |
藤原 英吾 (ふじわらえいご) |
昭和57年早大卒業。卒業後に全日空横浜クラブ(横浜フリューゲルスの前身)でプレー、その後国学院久我山高校サッカー部の監督を経て、現在早大ア式蹴球部のコーチを務める。 |
野々村 芳和(ののむら よしかず) |
サッカー解説者 コンサドーレ札幌チームアドバイザー クラッキサッカースクールコーチ代表取締役 |
1972年、静岡県生まれ。ジェフユナイテッド市原(現千葉)に加入。卓越したリーダーシップでチームを牽引し、堅実なプレーを軸にした頭脳派プレーヤーとして活躍した。2000年、コンサドーレ札幌に移籍。混戦のJ2を勝ち抜きチームをJ1昇格に導く。01シーズン終了後引退、札幌チームアドバイザーの傍ら06年に株クラッキを設立。 Sky perfec TV! やJ SPORTS等でサッカー解説を務めている。 |
遠藤 雅大 (えんどう まさひろ) |
元ジュビロ磐田 |
帝京高校、順天堂大学出身。1993年、ジュビロ磐田に入団、1999年横浜FC移籍し、その後、ヴェルディ川崎、清水エスパレス、KVメヘレン(ベルギー)、ラルビエール(ベルギー)等でプレーした。日本代表としては8試合に出場した。 現在はインドア サッカー塾や東京都内各地の小学校、中学校、高校でサッカーの指導し、また UEFAチャンピオンズリーグ、セリエA等のTV番組にサッカー解説者として出演している。 出版物 世界を目指す子供たちのための超実践的ジュニアサッカー 全3巻 |
大森 健作 (おおもり けんさく) |
元U20日本代表 |
高校卒業後は横浜マリノスに入団。1995年のFIFAワールドユースカタール大会の日本代表に選出され出場。その後鹿島アントラーズ、京都パープルサンガ、コンサドーレ札幌へと移籍。監督の交代やシステムの変化に対しても常にレギュラーの座にあり続け、また選手の顔的な存在感も見せ、サポーターからの人気も大きかった。2004年のシーズン途中、セレッソ大阪へのレンタル移籍。シーズン終了後、この年J2への昇格を決めた徳島ヴォルティスに移籍した。2005年、2006年シーズンはベテランとしてJ2入りしたばかりのチームを支え、同年12月2日、現役を引退。 |
高橋 勇菊 (たかはし ゆうき) |
元アローズ北陸 |
高校時国体出場、仙台大学在学時、総理大臣杯、インカレ、全国3位、東北リーグベストイレブン、北海道東北学生選抜に選出、卒業後、山形県の社会人リーグ→群馬県のフォルトナFC(現 JFL アルテ高崎)→Jリーグ東京ウ゛ェルディ1969→JFLアローズ北陸(現カターレ富山)アローズ時はキャプテン、副キャプテンを経験。引退後は指導者の道へ進み、富山県 私立不二越工業高校で指導。三年目を迎えるが、過去二年でインター杯県ベスト4、選手権県予選ベスト4、学校創設初の北信越大会出場。今年度から富山県U-16県トレセンのコーチを務める。現在B級ライセンス取得中。 |
佐賀 一平 (さが いっぺい) |
北海道出身。高校サッカーの名門・藤枝東高校から1999年にコンサドーレ札幌に加入し、高い技術を武器にMFとしてプレー。 2001年にはモンテディオ山形に移籍、2003年からは沖縄かりゆしFCでプレー。2005年の現役引退後は、コンサドーレ札幌ユースでU-18(18歳以下)、U-12(12歳以下)のコーチとして活動。 その後はスクール運営を中心に、クラッキのコーチ活動を行っている。(財)日本サッカー協会公認 B級コーチライセンス |
相馬 直樹(そうま なおき) |
フランスW杯出場 |
日本を初めてW杯に導いた右利きの左サイドバック。日本代表時代は積極的なオーバーラップを武器に不動の左サイドバックとして活躍。加茂・岡田・トルシエと3人の監督のもとでプレー。前日本代表ジーコ監督とは鹿島アントラーズ総監督と選手という間柄。黄金時代を築く。 個人賞/チームタイトル 95年、96年、97年、98年 Jリーグベストイレブン 96年、98年、00年、01年 J年間優勝 |
桑原 隆 (くわはら たかし) |
日本サッカー協会公認コーチライセンスS級 |
古河電気工業株式会社サッカー部(現ジェフ市原・千葉)に入部、選手として活躍し1977年に 天皇杯優勝(主将)、JSL優勝(主将)1978年に JSLCUP優勝(主将)JSL214試合出場(歴代9位)という成績を残した。 その後、同サッカー部コーチやPJMフューチャーズコーチの総監督勤め、1996年にジュビロ磐田の強化育成アドバイザー就任に就任した。そして、ジュビロ磐田の監督代行に就任してからは、アジアサッカー連盟月間監督賞、Jリーグチャンピオンシップ優勝、第18回アジアクラブ選手権優勝、第5回アジアスーパーカップ優勝等数々のタイトルを獲得した。 《コーチラインセンス》 日本サッカー協会公認コーチライセンスS級、FAインターナショナルライセンス(イングランドサッカー協会公認) スコットランドサッカー協会公認コーチライセンスC級。 |
森山 泰行(もりやま やすゆき) |
元名古屋グランパスエイト |
サッカーの名門・帝京高校から順天堂大学を経て1993年、Jリーグの発足と共に名古屋グランパスエイトに入団した。146試合出場51得点を挙げチームの主力選手として活躍した。その後ベルマーレ平塚やスロベニアリーグの強豪であるヒット・ゴリツァ、サンフレッチェ広島、川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、FC岐阜でプレーをした。また、引退後もFC岐阜のアドバイザーとしてチームの強化に関わった。現在は、テレビのスポーツコメンテーターとしても活躍をしている。日本代表としては1997年のキリンカップに出場した。 |
水泳
青山 綾里 (あおやま あやり) |
アトランタオリンピック出場 |
アトランタオリンピックでは、中学生での出場で、100mバタフライ6位入賞を果たす。その後、世界水泳銀メダル、日本記録樹立等の輝かしい成績を収め、2000年に現役を引退。 主な記録:100mバタフライ(短水路)世界記録保持者(58秒24)、100mバタフライ(長水路)日本記録保持者(58秒79)、世界水泳選手権(98年)100mバタフライ銀メダル、世界水泳選手権(98年)400mメドレーリレー銅メダル、100mバタフライ日本選手権4連覇。 |
錦織 篤 (にしこり あつし) |
高校時代はインターハイ5位が最高成績だったが、大学進学後に頭角を現し、1999年日本短水路選手権背泳ぎで2連覇、53秒31の日本新をマーク。 02年釜山アジア競技大会メドレーリレー第1泳者を務め、金メダルを獲得。03年4月の日本選手権男子100m背泳ぎでは54秒54でゴールし、鈴木大地の記録を15年振りに塗り替えると共に、50メートルでも自身の日本記録を2度(25秒83、25秒72)更新。 主な記録:世界選手権(03年)50m背泳ぎ15位、100m背泳ぎ12位、世界選手権(01年)メドレーリレー8位(日本:錦織、北島、山本、奥村) |
永井 奉子 (ながい ともこ) |
アテネオリンピック出場 |
徳島商業高校3年時に日本選手権200m自由形で優勝。 筑波大学進学後全日本大学選手権200m自由形4連覇、100m自由形で2連覇を達成。 国際大会では、2001年世界水泳の800mフリーリレーで銅メダルを獲得。2002年のアジア大会100m自由形で銀メダル。卒業後徳島市のスイミングスクールに所属し、2004日本選手権100m、200m自由形優勝。 アテネオリンピックでは、100m、200m自由形で準決勝進出。400mメドレーリレーでは中村礼子、田中雅美、大西順子、永井奉子のメンバーで5位入賞を果たす。現在、4×100m、4×200mリレーの日本記録保持者。 |
ソフトテニス
皆呂 充亮 (みなろ みつあき) |
全国各地でソフトテニス教室、普及活動を行っている。 ソフトテニスマガジンをはじめ、ソフトテニス雑誌・指導書の執筆、監修を行っている。 |
池田 学俊 (いけだ たかとし) |
日本全国で年間150回のセミナーを開催。様々な器具を用いた、ユニークな指導法で高い評価を得ている。 |
織田 みゆき (おだ みゆき) |
白鴎大学足利高等学校から東京女子体育大学に進学。2001年には、全日本学生選手権優勝、東日本学生選手権優勝等か輝かしい成績をおさめる。また、同年の日本学生ランキング1位にとなった。現在は、母校の東京女子体育大学ソフトテニス部のコーチとして多くのトップアスリートを指導している。 |
テニス
辻 季之 (つじ としゆき) |
早稲田大学、NECではテニス日本代表として、テニスの国別対抗戦デビスカップ等、数多くの国際大会に出場した。現役引退後、平成7年度には日本テニス協会優秀指導者を受賞。早稲田大学テニス部コーチとして、初の男女全日本学生選手権制覇を実現させた。現在日本テニス協会マーケティング部所属。 |
竹内 映二 (たけうち えいじ) |
現テニス日本代表監督 |
10歳からテニスを始め、1977年高校総体シングルス優勝。アメリカ留学後プロに転向し、世界を転戦する。日本人としては海外ツアーを回り始めた草分け的な存在。元デビスカップ日本代表選手。現役を引退後は、91年より10年間日本テニス協会・ ナショナルコーチとして日本のトッププレーヤーを指導。アトランタ、シドニーオリンピックではコーチを務め、00年までの8年間、デビスカップ日本代表チームヘッドコーチも務めた。主な指導選手:谷澤英彦、太田茂、鈴木貴男、伊達公子、佐伯美穂、不田涼子。 |
宮崎 雅俊 (みやざき まさとし) |
元ユニバーシアード日本代表 |
早稲田大学在学中は主将として、全日本室内学生選手権シングルス優勝、全日本学生選手権団体優勝等数々の輝かしい成績を残す。また、学生日本代表としてユニバーシアードに出場。現在プロテニスプレーヤーとして活躍中。 |
ピーター・ギブソン |
USプロテニス協会会員 |
日本とオーストラリアにおいてコーチとして20年のキャリアを持つ。オーストラリアテニス協会アドバイザリーパネルのメンバー、ITFワールドコーチワークショップ オーストラリア代表等を務め、オーストラリアのトップ選手の育成を行っている。また大の親日家で外国籍で初めてに日本プロテニス協会の資格を獲得した。現在は解説者としてオーストラリアオープンなどのテレビ解説も行っている。 |
小畑 沙織 (おばた さおり) |
アテネオリンピック出場 |
5歳からテニスを始め、全国中学、高校総体で優勝し、'97年にプロ転向。'98年の全日本選手権で優勝するが、右ヒザ半月板損傷の重傷を負い、ツアーから離れる。'01年に完全復帰。その後、日本のトッププレーヤーとして、WTAツアーをはじめ、国際舞台で活躍をしている。また、日本代表として'02釜山アジア大会女子団体銀メダル、ダブルス銅メダルを獲得。フェドカップでも活躍している。 自己最高世界ランク:シングルス39位(04年2月)、ダブルス98位(04年2月) |
有本 尚紀 (ありもと なおき) |
プロテニスプレーヤーとして、JTTオホーツクオープン優勝、レジーナの森オープン優勝や、ATPツアー・ニュージーランフューチャーズ準優勝等の成績を残す等、現在日本を代表するテニスプレーヤーの一人である。また全国各地でジュニアからシニアまで多くのクリニックも行っている。 |
比嘉 ジャイミー 幸男 (ひが じゃいみー ゆきお) |
現役時代は、国内のトップリーグ・トーナメントで活躍、第5回 ダイドーロブィングオープンでは、シングルス準優勝・ダブルス複優勝、 昭和の森オープンテニストーナメント in スプリング、 山梨須玉オープンでもダブルスを優勝した。また、96年には日本リーグで、敢闘賞を受賞した。 |
卓球
渡辺 武弘 (わたなべ たけひろ) |
ソウル、バルセロナオリンピック出場 |
卓球の日本代表として、ソウルオリンピック男子ダブルス、バルセロナオリンピック男子シングルス、ダブルスに出場。国内では全日本選手権のシングルスで優勝1回。ダブルスでは男子ダブルスで4連覇を含む優勝5回、混合ダブルスでも3連覇を記録している。世界選手権にも計4回出場した日本のトッププレーヤーである。 |
川村 公一 (かわむら こういち) |
現役時代は、日産自動車卓球部主将を務め活躍、全日本選手権3位という実績を残す。引退後は、日産自動車女子卓球部の監督を務め、現在は健勝苑で監督として西飯姉妹、森下ら多くの日本代表選手を指導。 |
岡崎 恵子 (おかざき けいこ) |
仙台育英高校から近畿大学、日本生命と日本のトップチームで活躍。近畿大学ではシングルスで全日本インカレ優勝。日本代表としては1999年の世界選手権のシングルスでベスト32、2001年の世界選手権では、女子ダブルス、混合ダブルスでベスト16に入る。得意技の「王子サーブ」を使ったプレースタイルで国内はもとより、海外にもファンが多い。 |
糠塚 重造 (ぬかづか じゅうぞう) |
学生時代は、三本木高校でインターハイ、明治大学で全日本インカレのシングルス優勝。卒業後は川崎製鉄千葉で競技を続け、日本代表として世界選手権、アジア大会等に出場。全日本選手権のシングルスで優勝する等活躍した。 |
森本 文江 (もりもと ふみえ) |
1997年に白鵬女子高校1年生で全日本選手権ダブルスを制覇。 その後、日本のトッププレーヤーとして2001年世界選手権などに出場。 現在は、日本のトップチーム健勝苑に所属し日本リーグ他で活躍中。 |
武田 明子 (たけだ あきこ) |
大阪の名門、四天王寺高校から健勝苑、現在はチームマツシタと日本のトップチームで活躍をしている。1998年アジア選手権女子ダブルス銀メダル。2001年の世界選手権では女子ダブルスで銅メダルを獲得。03年社会人選手権女子シングルス3位。日本の卓球のダブルスの第一人者。 |
矢島 淑雄 (やじま よしお) |
全日本選手権ダブルス準優勝 |
中央大学を卒業後、川崎製鉄・東京アート・健勝苑卓球部に所属し、現在はバタフライとのプロ契約選手として活躍している。1996年に全日本社会人シングルスでベスト8まで進出。同年、ブラジルオープンダブルスでは、優勝を飾った。1998年には、全日本選手権シングルスでベスト8まで進出し、4年後の2002年全日本選手権ダブルスでは、自己最高の準優勝という結果を残した。現在は、バタフライアドバイザリースタッフとして、全国で卓球教室の指導も行っている。 |
倉嶋 洋介 (くらしま ようすけ) |
現男子ナショナルチーム監督 |
2001年の全日本選手権でシングルス3位、ミックスダブルス優勝。同年、日本代表として世界選手権に出場。2002年、2004年にも日本選手権ダブルス優勝。今年の1月に行われた日本選手権では、シングルス3位、ダブルス優勝と輝かしい成績を残した。日本を代表するプレイヤー。 |
西飯 美幸 (にしい みゆき) |
全日本卓球選手権大会女子ダブルス優勝 |
健勝苑卓球部に所属。1998、1999、2000年に全日本選手権女子ダブルスを妹由香と共に3連覇する。2000年には、混合ダブルスでも優勝。2005年後期日本卓球リーグ大阪大会では、女子優秀ペア賞に輝く。 |
小林 仁 (こばやし ひとし) |
全日本選手権ミックスダブルス優勝 |
健勝苑卓球部所属。1999年に、全日本社会人選手権ダブルスを優勝し、2000年には、妻美幸と共に全日本選手権混合ダブルスを制した。 その後、専修大学の男子卓球部の監督を務め多くのトップアスリートを指導している。 |
渡邉 将人(わたなべ まさと) |
全日本日本選手権混合ダブルス優勝 |
青森山田高校から、早稲田大学に進学、卒業後はシチズンホールディングスの卓球部に所属。平成14年の日本選手権では混合ダブルス優勝、平成17年には全日本選手権シングルスベスト8、平成18年には、全日本選手権シングルス3位等、日本のトップで活躍した。 |
高山(中田) 幸信 (たかやま ゆきのぶ) |
世界選手権出場 全日本選手権ダブルス2連覇 |
明治大学時代は、インカレ優勝、4年時には学生ながらにして全日本選手権ダブルスを制覇した。その後、サンリツに入社し日本リーグ制覇に貢献するが部に伴い、東京アートに移籍し活躍した。1996年・1997年の全日本選手権混合を2連覇し、マンチェスターで開催された卓球世界選手権にも出場した。 |
真田 浩二 (さなだ こうじ) |
世界選手権出場 元協和発酵卓球部 |
1994・1995年に全日本選手権ジュニアの部を2連覇、1999年には全日本学生選手権シングルスを優勝、1997年には 全日本選手権シングルス第3位に輝き、2001年には日本を代表して世界選手権にも出場した。昨年度の全日本選手権では、ダブルスで準優勝するなど日本のトップで活躍した。 |
岸田 聡子(きしだ さとこ) |
日本生命保険相互会社卓球部監督代行 |
平成13年度全日本選手権女子シングルス3位、平成14年度全日本社会人選手権 女子シングルス優勝。平成18年度前期日本リーグゴールデンラケット賞を受賞する等、日本の卓球界のトップで活躍。また、日本を代表してアジア大会等数々の世界大会でプレーした。日本生命で主将を務め、チームの中心選手として活躍した。また、世界卓球選手権や北京五輪では解説も務めた。 |
田勢 邦史 (たせい くにひと) |
現男子ナショナルチームコーチ 現男子ジュニアナショナルチーム監督 |
2004年全日本選手権ダブルス優勝、2005年全日本選手権ダブルス優勝、2007年全日本選手権混合ダブルス優勝、全日本選手権シングルス3位、2008年全日本選手権混合ダブルス優勝、2009年世界卓球出場。 |
バスケットボール
倉石 平 (くらいし おさむ) |
早稲田大学スポーツ科学学術院教授 NBA解説者 元バスケットボール日本代表 |
早稲田大学時代に、日本選抜に選出され、その後熊谷組に入社。現役時代は、日本代表に3度選出される。引退後、熊谷組のヘッドコーチに就任し、日本リーグ、天皇杯で計3度の優勝を遂げる。熊谷組バスケットボール部の休部に伴い、日本初のプロバスケットボールコーチとして、大和證券バスケットボール部ヘッドコーチに就任する。その後大和證券バスケットボール部の休部の後、筑波大学大学院へ入学。卒業後、日立サンロッカーズのヘッドコーチに就任、早稲田大学スポーツ科学部客員講師に就任。現在、MIPスポーツ・プロジェクト理事長、早稲田大学スポーツ科学学術院教授、NHKでのNBA解説者も務める。 |
桜井 康彦 (さくらい やすひこ) |
元中央大学バスケットボール部ヘッドコーチ |
現在の五十嵐、柏木らバスケットボール日本代表を数多く輩出する、中央大学男子バスケットボール部の元ヘッドコーチ。アシスタントコーチとして国学院久我山高校を全国2位に、また中央大学ヘッドコーチとしても全国2位に導く等、幅広い年代の指導で実績をあげている。また、中央大学ヘッドコーチ在任時には23歳以下日本代表の強化スタッフも務めた。著書にバスケットボ−ル入門(大泉書店1997/04)がある |
青木 幹典 (あおき もとふみ) |
中央大学出身。2001年度より浜松大学バスケットボール部コーチに就任。大学時代は、全日本学生選抜、学生オールスター出場等の数々の実績を残した。卒業後デンソーに入社し、JBLで活躍。指導者としては、JBLのデンソー、愛知機械工業のヘッドコーチとして7年間活躍し、ディフェンス指導に関する評価は非常に高い。 現在は、BJLの高松ファイブアローズのヘッドコーチを務める。 |
萩原 美樹子 (はぎわら みきこ) |
元WNBAプレーヤー |
福島女子高校時代は、インターハイ、国体ともに2回出場。1989年共同石油入社 (現・ジャパンエナジー)し、1995・97・98・99年に全日本選手権優勝 、1993・94・95・96年に日本リーグ得点王、1992年から5年連続ベスト5に輝く。日本代表へは、協働石油入社と同時に全日本入り。1996 年アトランタ五輪7位入賞(個人得点ランキング5位)。1997年からアメリカのWNBAで日本人第1号プレーヤー。現在は早稲田大学大学院でコーチングを研究しながら、同大学の女子バスケットボール部のコーチを務める。2003年度よりバスケットボール女子日本代表チームのアシスタントコーチ。 |
外山 英明 (とやま ひであき) |
アイシンシーホース所属 |
青山学院大在学中に初めてバスケットボール日本代表に選出される。その後、1989年から98年まで、バスケットボール日本リーグの熊谷組、大和証券でプレーし、長身ながらスピード溢れる攻撃力で、チームの日本リーグ優勝、天皇杯優勝、個人では新人王・MVP・ベスト5など数々のタイトルを獲得した。また、96年からは日本人プロ契約選手第一号として、日本バスケットボール界に新風を吹き込んだ。スーパーリーグアイシンシーホースでスーパーリーグ優勝等の数々のタイトルを獲得している。 |
後藤 敏博 (ごとう としひろ) |
現役時代は、熊谷組、いすゞ自動車で計5回の日本一を経験。自身も日本リーグベスト5等数々の個人賞を受賞。また、日本代表としてアジア大会、オリンピック予選等に出場。現在はWJBLトヨタ自動車で女子バスケットボール部のコーチを務める。 |
東 英樹 (ひがし ひでき) |
筑波大学から三井生命と大学、社会人のトップチームで活躍。現役引退後、筑波大学のアシスタントコーチを経て三井生命バスケットボール部でヘッドコーチを務める。 |
藤田 将弘 (ふじた まさひろ) |
大学バスケットボール界の名門である日本体育大学を卒業後、大和証券で4年間、三菱電機で4年間プレーヤーとして活躍。その後、1年間オーストラリアでプレーし、2度のJBL制覇という実績を誇る、三菱電機メルコドルフィンズのアシスタントコーチを経て、現在はヘッドコーチに就任し数多くのトップ選手を指導している。 |
加藤 貴子 (かとう たかこ) |
アトランタ五輪出場 元シャンソン化粧品 |
日本史上最年少の17歳に、日本代表メンバーとして選出された。数々の国際大会に出場し、アトランタ五輪や世界選手権(3度)で中心選手として活躍した。日本リーグにおいてはシャンソン化粧品で入団以来負けなしの10連覇に大きく貢献し、「新人王」「MVP」「ベスト5」等々数々のタイトルを受賞。また、イタリアのプロリーグに日本人では初めて参戦し、チームの勝利に貢献した。 |
木村 和宏 (きむら かずひろ) |
元ユニバー女子日本代表コーチ |
能代工業高校卒業後、日本体育大学に進学、その後三菱電機に所属し日本のトップリーグでプレーした。その時には、日本代表にも選出され活躍した。現役引退後は、母校の日本体育大学の女子・男子のヘッドコーチを努め、ユニバーシアード女子日本代表のヘッドコーチも務めた。 |
斉藤 利之 (さいとう としゆき) |
1974年生。静岡県出身。浜松西高を経て早大に入学、在学時は早大の1部リーグ昇格に貢献するとともに、4年時には主将としてチームを16年ぶりのベスト4に導く。現在は、浜松早稲田学院を経営する傍ら、早大女子バスケットボール部のコーチも務める。 |
参河 紀久子 (みかわ きくこ) |
アトランタ五輪出場 |
京都府出身。 1987年 に(株)共同石油(現(株)ジャパンエナジー)入社。オール ジャパン優勝4回、WJBL優勝3回、3ポイント賞を受賞。 1996年 には第26回アトラ ンタオリンピックに20年ぶりの出場をはたし、7位入賞した。 |
唐木田 司(からきだ つかさ) |
中央大学を卒業後、松下電器パナソニックバスケットボール部に入部。1年目となる、1985年には、JBLスーパーリーグで新人王を獲得した。その後、日本代表としても活躍した。 |
永田 睦子(ながた むつこ) |
アトランタ・アテネ五輪出場 |
高校卒業後、シャンソン化粧品に入社。主力として活躍し、シャンソン黄金時代に貢献。Wリーグでは、優勝5回を経験。得点王6回、3度のMVPを獲得。2006-2007年シーズンを最後に引退。全日本のメンバーとしてもアトランタ・アテネの五輪2大会出場を果たす。 |
原田 裕花(はらだ ゆか) |
アトランタ五輪出場 |
1968年6月5日生。山口県出身。小学校3年でミニバスケットボールを始める。山口県富田中学校・大分県藤蔭高校ではキャプテンとして活躍。87年(株)ジャパンエナジー入社(現在 JX ENEOS)。 1年目から日本代表入り。代表キャプテンも務める。二度の膝靭帯断裂という大怪我にみまわれつつも見事復活。カムバック賞を受賞。アトランタオリンピック7位入賞の原動力となる。現在は、バスケットクリニックや解説者としてもテレビなどで活躍中。 |
パドミントン
渡辺 哲義 (わたなべ てつよし) |
NTT西日本大阪バドミントン部では、1997〜00年日本リーグ4位。個人でも90年全日本学生シングルス3位、91年全日本社会人シングルス5位、99年全日本社会人シングルス5位等長年にわたり、日本のトップ選手として活躍。現役引退後にNTT西日本大阪バドミントン部監督に就任。現在はNPO法人大阪トリッキーパンダーススポーツスクール代表を務める。 |
宮崎 克巳 (みやざき かつみ) |
京都府立鴨沂高校、慶応大学を通じ、学生界のトッププレーヤーとして活躍。卒業後、サントリー、三洋電機のヘッドコーチとして活躍。日本リーグ優勝通算14回、全日本実業団優勝15回を達成すると共に東海林、小池、広田、金井、井田、中山、増茂、田中、森、小椋他数多くの日本チャンピオン、日本代表選手を育成。日本代表チームのコーチ、監督として海外試合の経験も豊富である。原田 利雄 (はらだ としお) |
片山 卓哉 (かたやま たくや) |
元バドミントン日本代表 |
中央大学卒業後、日本のトップチームNTT東日本の中心選手として、全日本総合ダブルス優勝、全日本社会人ダブルス優勝、全日本実業団大会優勝、日本リーグ優勝、国民体育大会優勝等の輝かしい成績を残す。自己最高世界ランク:19位 |
中條 彪 (なかじょう あきら) |
元バドミントン中国代表 |
1984年に中国ナショナルチーム入りし、1987年インドネシアオープンシングルス準優勝等の成績を挙げる。1989年に来日し日本を代表するプレーヤーとして実業団リーグで活躍。現在は日本のトップチームである日本ユニシスの監督を務める。元バドミントン日本代表監督。 |
松井 峰生 (まつい みねお) |
現役時代は、日本のトップチームのNTT西日本で全日本実業団バドミントン選手権、日本選手権で活躍した。現役引退後はNTT西日本バドミントン監督を務めた他、大阪府選抜の監督も務めた。 |
須賀 隆弘(すか たかひろ) |
全日本総合シングルス優勝 |
法政大学を卒業後、NTT東日本バドミントン部に所属。1994・1995の全日本社会人バドミントン選手権大会シングルスの2連覇、1996年の全日本総合シングルスにおいてチャンピオンに輝く。全日本実業団バドミントン選手権大会では、団体として1995・1998・2001 と3度優勝を果たす等、数々のタイトルを獲得。また、日本代表としてアジア大会・東アジア大会に出場する等、多くの国際舞台でも活躍した。 |
青木 孝徳 (あおき たかのり) |
NTT東日本バドミントン部 |
早稲田大学学生時代は、インカレを準優勝。NTT東日本入社後は、全日本総合選手権大会ダブルス3位、オークランド国際大会優勝、全日本実業団バドミントンン選手権男子団体優勝、バドミントン日本リーグで新人賞など数々のタイトルを獲得。また、全国で一般の子どもから大人までを対象にバドミントンの講習会に参加している。 |
ヌヌン・スバンドロ |
スイスオープン・上海オープン等様々な世界大会に出場し、数々のタイトルを獲得して来た。1999年には、世界ランキング7位となった、世界のトッププレイヤー。 現在は、北都銀行バドミントン部の選手兼コーチを務める。 |
山田 靑子 (やまだ せいこ) |
アテネ五輪出場 世界選手権銅メダリスト |
三洋電機バドミントン部に所属時代は、キャプテンを務めチームを引っ張った。2001年の全英オープンではベスト4、2003年の世界選手権では日本勢として23年ぶりに銅メダルを獲得する等、世界を舞台に活躍する。そして、2004年にはアテネ五輪に日本を代表して出場した。 |
大田 貴子 (おおた よしこ) |
全日本実業団選手権団体優勝 |
大阪四天王寺高校出身。高校時代は、全日本ジュニアバドミントン選手権大会で準優勝を果たし、その後、サントリーバドミントン部で活躍。1994年、1995年に全日本実業団バドミントン選手権女子団体2連覇をする等、数々の輝かしい成績を残した。 |
藤本 ホセマリ (ふじもと ほせまり) |
全日本社会人大会シングルス優勝 |
中央大学卒業後、日本ユニシスに入社、‘00全日本社会人大会シングルス優勝、’01全日本社会人大会シングルス第3位、‘03全日本社会人大会シングルス優勝、’03全日本総合選手権大会シングルス第3位等数々の輝かしい成績を残す。また、日本代表としても、‘99ニュージーランド・インターナショナルシングルス第3位、’02スリランカサテライトシングルス第3位、‘釜山アジア大会に出場し活躍した。 |
古井 博高(ふるい ひろたか |
日本リーグ4連覇 全日本実業団優勝 |
熊本学園大学付属高校出身。爆発的なスマッシュを武器にインドネシアコーチの秘蔵っ子としてダイナミックなプレースタイルで個人としては、平成14年全日本総合シングルス5位、平成15年全日本社会人シングルス5位。団体では、日本リーグ4連覇、全日本実業団大会優勝、平成14・15年に国体準優勝を果した。 |
バレーボール
中田 久美 (なかだ くみ) |
バレーボール全日本女子監督 |
15歳で全日本デビューし、第15回日本リーグ新人賞受賞。日本リーグではチームとして優勝10回、個人では通算年間MVP3回、ベスト6を6回獲得する等輝かしい成績を残す。日本代表では1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダル獲得。次の88年ソウルオリンピックでは4位入賞、翌年のワールドカップではベストセッター賞を受賞する。92年バルセロナオリンピックではオリンピック日本選手団の旗手も務め、同大会5位入賞。1992年に一度現役を引退するが、1995年に現役復帰表明。1996年日立ベルフィ-ユアシスタントコーチに就任するが、1997年フリーになり、後輩指導・全国各地での講演・バレーボール教室、テレビ解説を行っている。2005年より日本バレーボール協会強化委員に就任。現バレーボール全日本女子監督。 |
杉山 明美 (すぎやま あけみ) |
ソウルオリンピック4位 |
東海大学時代、学生日本代表としてユニバーシアード神戸大会で金メダルを獲得。大学卒業後、NECに入社し、日本リーグでは、2回の日本リーグ優勝をはじめ、個人でも日本リーグベスト6を、日本選手権ベスト6、ベストアタッカー賞等受賞多数。日本代表としては、ソウルオリンピックでの4位入賞などの成績を残す。現在はNHKのVリーグ中継の解説やバレーボールボールクリニックで活躍。 |
大谷 佐知子 (おおたに さちこ) |
ロサンゼルスオリンピック銅メダル |
1981年に中田久美と共に15歳でバレーボール日本代表入りを果たす。その後、四天王寺高に進み、春高バレー初優勝の原動力となった。1984年ロサンゼルスオリンピックで三屋、広瀬、中田らと共に銅メダル獲得。日本リーグではカネボウ、パイオニア等でチームの中心選手として活躍した。 |
広瀬 美代子 (ひろせ みよこ) |
ロサンゼルスオリンピック銅メダル |
日本代表の中心選手として1981年ワールドカップの銀メダル獲得に大きく貢献をし、自身も最優秀レシーブ賞、ベスト6を獲得した。その後、84年ロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得。 日本リーグではユニチカに所属し、日本リーグ優勝2回、レシーブ賞2回、サーブ賞1回を獲得した。歴代のバレーボール日本代表の中でも、最も評価の高いレシーバーの一人である。 |
廣 紀江 (ひろ のりえ) |
ロサンゼルスオリンピック銅メダル ソウルオリンピック4位 学習院大学助教授 |
筑波大学時代は、神戸ユニバーシアードで金メダルを獲得。その後、全日本入りし、日本の中心選手としてロサンザルスオリンピック銅メダル獲得、ソウルオリンピック4位入賞の原動力となる。 また、日本リーグでも日立の中心選手として、中田、大林らと実業団リーグ優勝等黄金時代を作る。現在は学習院大学助教授、同大女子バレーボール部コーチ。 |
中野 照子 (なかの てるこ) |
アトランタオリンピック出場(ビーチバレー) |
青山学院大学在籍時には神戸ユニバーシアードの日本代表として金メダルを獲得。その後日本リーグの小田急で活躍。ビーチバレーに転向後は、日本代表として、アトランタオリンピックのビーチバレーに出場し9位となる。現在は、東京、神奈川を中心に数多くの小学生を対象としたバレーボールクリニックを開催している。 |
高尾 和行 (たかお かずゆき) |
元ビーチバレー全日本監督 元バレーボール日本代表候補 |
インドアでは法政大学、住友金属でセッターとして活躍。法政大学時代の88年からビーチバレーを始め、多くの国内大会で優勝。94年のアジア大会で金メダルを獲得。96年のアトランタ五輪では日本代表(17位)。現在も長年、日本のビーチバレーを引っ張ってきた“キング・オブ・ビーチ”として指導者、そして選手として、日本ビーチバレー界の顔の役割を果たしている。 |
本郷 友恵(ひがしたに ともえ) |
金沢商高から日本リーグの名門ユニチカで活躍。日本リーグでは、88年度、89年度にリーグのレシーブ賞を獲得、また88年度はベスト6にも選出された。バレーボールの日本代表のレフト、レシーバーとして86年の世界選手権、89年のワールドカップ等でも活躍した。 |
大竹 秀之 (おおたけ ひでゆき) |
バルセロナオリンピック出場 |
現役時代は、VリーグのNECブルーロケッツで活躍。1997年には同リーグのベスト6に輝き、翌年1998年のリーグではチームを優勝に導いた。日本代表としては、世界選手権・ワールドカップ・オリンピック(バルセロナ)の3大大会全てに出場。日本を代表するセンタープレイヤー。 |
吉原 知子 (よしはら ともこ) |
バルセロナ・アトランタ・アテネオリンピック出場 |
国内リーグでは、日本リーグ優勝3回、Vリーグ優勝4回を果たし、MVP・ベスト6、スパイク賞等数々の個人賞も獲得した。そして、日本代表としては、ワールドカップ出場3回、世界選手権出場2回、オリンピック出場3回を果たし、2004年のアテネ五輪では主将を務めた。 |
中垣内 祐一 (なかがいち ゆういち) |
バルセロナオリンピック出場 バレーボール全日本男子監督 |
福井県福井市出身。筑波大学4年時にワールドカップに全日本代表として出場。それ以来、全日本のスーパーエースとして活躍する。大学卒業後、新日鐵に入社。1992年のバルセロナ五輪では6位入賞を果たすなど、数々の世界大会に出場。Vリーグでは、チームを優勝に導き、個人としてもベスト6、MVP、敢闘賞等数々のタイトルを獲得。元堺ブレイザーズ監督。現バレーボール全日本男子監督。 |
青山 繁 (あおやま しげる) |
バルセロナオリンピック出場 |
法政大学卒業後、富士写真フィルムバレーボール部に入団。日本代表として、世界選手権・ワールドカップといった多くの国際舞台で活躍した。1992年には、バルセロナオリンピックに出場しチームの中心選手として活躍した。Vリーグでは、最高殊勲選手賞1回、レシーブ賞5回、ベスト6賞3回、敢闘賞1回、サーブレシーブ賞2回といた数々の個人タイトルも獲得した。 |
南 由紀夫 (みなみ ゆきお) |
北海道札幌市出身。東海大四高校時代は、国3連覇を達成し、東海大学へ進学。Vリーグでは、富士フィルムのセンターたとして活躍。1991年のワールドカップやアトランタ五輪アジア予選等の様々な世界大会で、日本代表として中垣内・大竹らと活躍した。現在は、富士フィルムに勤務しながら全国でバレーボールクリニックなどの指導を行っている。 |
佐々木 太一 (ささき たいち) |
元サントリーサンバーズ主将 |
Vリーグでは、歴代2位の通算774セットに出場。通算スパイク決定率は56.77%で、歴代2位。通算ブロック決定本数では631本と歴代1位の記録を残し、個人賞としてもベスト6賞を5回(歴代2位)スパイク賞を1回受賞した。また、日本代表としても、1994年の世界選手権・1995年のワールドカップの1992年〜1996年のワールドリーグ・1994年のアジア大会の1993年・95年・97年のアジア選手権に出場した。 |
田中 幹保 |
モントリオール・ロサンゼルスオリンピック出場 元バレーボール日本代表監督 |
オリンピックに2回(モントリオール・ロサンゼルス)、ワールドカップには3回出場。特に1977年のワールドカップ東京大会では銀メダルを獲得。一方、日本リーグでも新日鉄の11回のリーグ優勝に大きく貢献し、最優秀選手を7回・スパイク賞を4回獲得。1986年には監督も兼任し、1989〜91年には監督・選手としてリーグ3連覇を成し遂げた。1991年に引退し、1993〜94年にはアメリカ・イタリアにコーチ留学。その後全日本ジュニアの監督を経て、2000年10月から2004年まで全日本男子代表監督。現在は堺ブレイザーズ副部長。 |
岩本 洋(いわもと ひろし) |
元小田急バレーボール部監督 |
長崎県五島出身。日体大後、教員を経て、日立入りし、バレーボール日本リーグ女子で日立を優勝させた監督。ソウルオリンピック全日本のコーチとしてトップアスリートを指導。その後、小田急バレーボール部の監督を務め、アトランタオリンピックには、ビーチバレーボール女子チームを率いて出場した。 |
宮崎 謙彦 (みやざき のりひこ) |
元松下電器パナソニックパンサーズ |
日本を代表するエースアタッカーとして1994・ 1998 世界選手権、 1996 アトランタオリンピックアジア大陸予選 等に出場。また、Vリーグでは、松下電器パナソニックパンサーズで個人としても、猛打賞1回、BEST6に2回選出される等、日本のトッププレイヤーとして活躍した。 |
齋藤 信治(さいとう のぶはる ) |
北京五輪出場 |
日本体育大学を卒業後、Vリーグの東レ・アローズで活躍。Vリーグでは、2002年に、スパイク賞とベスト6を、2003年にスパイク賞を受賞した。 また、全日本代表としては、2008年に北京オリンピックに出場し、その他、世界選手権は2006年、ワールドカップは1995年、1999年に出場した。 |
ハンドボール
田中 茂 (たなか しげる) |
元ハンドボール日本代表 豊田合成ハンドボール部ブルーファルコンズ監督 |
1987年に、世界学生選手権大会に学生に出場。筑波大学を卒業後、三陽商会に入社。1989年〜1997年の間に、日本代表として公式国際試合81試合に出場。1995年には、アイスランドで開催された世界選手権大会に出場。 現在、豊田合成ハンドボール部ブルーファルコンズ監督。 |
冨本 栄次 (とみもと えいじ) |
元ハンドボール日本代表コーチ 世界選手権出場 |
日本体育大学時代はインカレを2度優勝し、学生ながら全日本メンバーに選出された。卒業後、大同特殊鋼ハンドボール部に入社、全日本総合選手権4回、国体2回、全日本実業団選手権2回、日本リーグ1回と輝かしい実績を残した。また、チームを選手兼監督として指揮し全日本総合選手権、全日本実業団選手権を優勝した。日本代表としては、世界選手権、アジア大会等多くの国際大会に出場し活躍した。現役引退後は、日本代表のコーチとして宮崎大輔・中川善雄らの多くのトップアスリートを指導した。 |
ネメシュ ローランド |
(財)日本ハンドボール協会 |
ハンガリー出身。1999年に当時の文部省ジェットプログラムの交換スポーツ指導員としてハンガリーより来日。岐阜県を中心に全国でハンドボールの強化に努める。 現在は、日本代表コーチ、筑波大学コーチを務める日本のトップコーチ |
齊藤 慎太郎 (さいとう しんたろう) |
大同工業大学教養部保健体育教室准教授 |
現役時代は、ハンドボールに日本代表として数々の国際大会に出場。バルセロナオリンピック予選にも代表選手として出場し活躍した。引退後は、Uー23日本代表チームのヘッドコーチとして多くのアスリートを指導し、現在は、大同工業大学教養部の助教授としてハンドボールに関して研究すると共に、同大学のハンドボール部コーチとして指導を行っている。 |
飯嶋 慶太 (いいじま けいた) |
元ビーチハンドボール日本代表 |
順天堂大学卒業後、三陽商会ハンドボール部に所属し活躍した。コーチ兼選手、監督兼選手を務める等、チームからの信頼が高くチームをまとめあげた。自身も、ビーチハンドボール日本代表として活躍した。 |
岩本 真典 (いわもと まさのり) |
日本リーグ通算得点記録保持者 |
熊本県出身。長身を生かした得点力が魅力で、1993年に三陽商会でリーグにデビューし新人王を獲得した。2001年にチームが休部となって大崎電気に移籍すると、2006年に、リーグ史上初の通算1000得点と達成した。現在も、日本代表として活躍している。 |
中山 剛 (なかやま つよし) |
元ハンドボール日本代表コーチ |
大学時代から日本代表に選出され、大学卒業後には湧永製薬に所属しエースとして活躍した。1997年に熊本で開催された世界男子ハンドボール選手権にも、日本のエースとして出場した。 現役引退後は、湧永製薬ハンドボール部の監督を経て、日本代表チームのコーチとして宮崎大輔をはじめとするトッププレイヤーの指導を行った。 |
野球
南牟礼 豊蔵 (みなみむれ とよぞう) |
宮崎県出身。都城工業高校から電電九州を経て、1982年に阪急ブレーブス(現オリックスバッファローズ)に入団。その後、中日ドラゴンズ、阪神タイガースでプレーし、95年に引退した。現役時代は、持ち前の明るいキャラクターと勝負強いバッティングで、代打の切り札として活躍した。(通算546試合 186安打 78打点 13本塁打 打率.249) 01年からマスターズリーグ(大阪ロマンズ)に参加し、ベストナインに選出、マスターズリーグ代表として中国代表と試合をする等、現在もプレーを続けている。 |
大越 基 (おおこし もとい) |
仙台育英高のエースとして1989年夏、甲子園準優勝。早大中退後、92年にアメリカメジャーリーグの1Aサリナス入団。93年ドラフト1位でダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)に入団。96年に強肩と俊足を買われ外野手に転向。それ以降は守備・走塁のスペシャリストとして活躍。99年には代走・守備固めとして82試合に出場し、ダイエーのリーグ初優勝に貢献。03年の日本シリーズでも、7戦全てにベンチ入りし4年ぶりの日本一にも貢献。同年に現役を引退し、現在は指導者を目指し東亜大(山口)に在学中。 |
村上 信一 (むらかみ しんいち) |
プロ3年目の代打でのプロ初打席で初ホームラン、次の代打でもホームランを放つ(代打での初打席から2打席連続ホームランは世界記録)。阪急・オリックスの外野の貴重な戦力として1990年にはレギュラーとして活躍。引退後、ソフトボール日本リーグ1部の豊田自動織機のバッティングコーチとして、同チームの日本リーグ3連覇に貢献する。 |
大塚 光二 (おおつか こうじ) |
育英高校、東北福祉大を経て1990年ドラフト3位で西武ライオンズに入団。外野手として活躍。 1998年日本シリーズで連続打席安打新記録・ゲーム最多安打タイ記録を樹立。同シリーズ敢闘賞を獲得。 (日本シリーズ通算打率(50打席以上)歴代1位)現在は野球解説者として活躍。 |
秦 真司 (はた しんじ) |
元中日ドラゴンズコーチ |
鳴門高、法政大を経て84年ドラフト2位でヤクルト入団。88年にはレギュラー捕手となるが、90年途中に外野手に転向。91年には117試合で打率2割9分2厘、16本塁打の好成績をマークした。その後は代打の切り札として活躍。92年、西武との日本シリーズ第6戦では潮崎から史上10人、11度目のサヨナラ本塁打等勝負強い打撃が身上。2000年にロッテに移籍したが、同年引退。01年にはロッテの二軍打撃コーチを務めた。2005年より中日ドラゴンズのコーチを務める。 |
彦野 利勝 (ひこの としかつ) |
愛知高から1982年、ドラフト5位で中日に入団。入団後まもなく投手から外野手へ転向。87年からレギュラーとして活躍。88年にはトップバッターとして優勝に大きく貢献した。88年から3年連続でゴールデングラブ賞を獲得。89年にはオールスターに初出場、MVPを獲得。シーズン26本塁打を放ちベストナインを獲得した。 プロ16年で通算965試合出場、打率.264、85本塁打、340打点。 |
西崎 幸弘 (にしざき ゆきひろ) |
1987年に愛知工大から日本ハムにドラフト1位で入団。1年目から15勝を挙げると、以後5年連続2ケタ勝利とドラフト1位の実力を如何なく発揮。日本ハムでは最多となる8度の開幕投手を務め、チーム歴代4位の117勝をマーク。95年7月5日の対西武戦でノーヒット・ノーランを達成した。1998年に西武で自身初のリーグ優勝を経験。1999年には西武の守護神として復活を果たし、2勝1敗20セーブを残した。 |
村岡 耕一 (むらおか こういち) |
1981年電電九州からドラフト3位で大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)に入団。85年には内野手の控えとして一軍に定着し、自己最多の105試合に出場。貴重なユーティリティプレーヤーとして、活躍した。90年に西武ライオンズへ移籍。91年引退。通算447試合出場。現在はマスターズリーグの大阪ロマンズでプレー。 |
藤野 正剛 (ふじの せいごう) |
西武ライオンズ(1982年 - 1991年途中)〜横浜大洋ホエールズ |
1984年にイースタンリーグ首位打者、堅実な守備で西武ライオンズの黄金時代の貴重な内野手の控えとして活躍した。1991年途中、呉俊宏選手との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍し1992年限りで引退した。現在はマスターズリーグ、札幌アンビシャスでプレーする。 |
岩切 英司 (いわきり えいじ) |
住友金属鹿島の正捕手として都市対抗野球に3年連続出場し‘83年にドラフト6位で阪神タイガースに入団。’91年ダイエーホークスに移籍し‘95年からは2軍バッテリーコーチとして多くのトップ選手を指導。 |
田野倉 利男 (たのくら としお) |
元中日ドラゴンズ 元ロッテオリオンズ |
早実から72年、ドラフト4位で中日に入団。現役時代はユーティリティープレイヤーとして、そして貴重なサウスポー・キラーとして活躍した。79年にはウエスタンリーグで本塁打王を獲得。翌年から1軍に定着した。85年にロッテへ移籍。87年には打率.348を残した。88年に現役引退。その後、ロッテの二軍コーチや、テレビ解説を務めた。 |
遠藤 一彦 (えんどう かずひこ) |
元横浜大洋ホエールズ |
1977年にドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。プロ2年目の1979年には、オールスターに出場。1983年には、18勝9敗3S、186奪三振、防御率2.87の成績で、ベストナイン、最多勝、奪三振王、最多完投、沢村賞を獲得。その後、試合中にアキレス腱を断裂し、戦線離脱を余儀なくされたが、リハビリを経て見事にストッパーとして復帰。カムバック賞を受賞した。引退後は、横浜ベイスターズの投手コーチを務め、現在は野球解説者として活躍している。 |
高橋 雅裕 (たかはし まさひろ) |
元横浜大洋ホエールズ |
1982年にドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。14年間在籍し遊撃手無失策記録を樹立した。97年に千葉ロッテマリーンズにトレードされ、小技が出来る内野手として重宝された。引退後は、千葉ロッテマリーンズの外野守備走塁コーチに就任し、2004年には東北楽天ゴールデンイーグルスの守備走塁コーチとして多くの選手を指導した。現在は、野球解説者を務めながら、マスターズリーグの札幌アンビシャスで活躍している。 |
竹下 浩二 (たけした こうじ) |
元読売ジャイアンツ |
1981年興南高校からドラフト4位で大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)に入団。その後、巨人にトレードされ。1988年に引退。現在は、マスターズリーグ、モルツ球団等で活躍している。 |
佐野 元国 (さの もとくに) |
元読売ジャイアンツ 元読売ジャイアンツバッテリーコーチ |
1977年にドラフト3位で横浜高校から近鉄バッファローズに入団。ウェスタンリーグでは、本塁打王・打点王を獲得。1985年に読売ジャイアンツで移籍。引退後は、古巣読売ジャイアンツや横浜大洋ホエールズのバッテリーコーチとして多くのトップ選手を指導した。 |
北村 俊介 (きたむら しゅんすけ) |
元中日ドラゴンズ |
ドラフト外で中日ドラゴンズに入団。テスト生として入団するも1軍の3番を経験。(3番北村、4番パウエル、5番大豊)1996年3月に近鉄にトレードで移籍。引退後、佐川急便軟式野球部コーチ・監督も経験した。現在は有限会社インターサーチが主宰するKS野球塾塾長として、全国で野球教室を行っている。 |
大友 進 (おおとも すすむ) |
野球解説者 |
ドラフト2位で西武ライオンズに入団。外野手として活躍。1997年には、レギュラーとしてリーグ優勝に大きく貢献。1998・1999年には、ゴールデングラブ賞を受賞、1999年には、オールスターにも出場した。現在は、野球解説者、社会人クラブチームの一球幸魂倶楽部の選手兼任コーチとして活躍をしている。 |
ラグビー
相沢 雅晴 (あいざわ まさはる) |
元ラグビー日本代表主将 |
国学院久我山高校、明治大学とラグビー部で活躍し、株式会社リコーへ入社。 リコー時代には、プロップとして、日本代表に選出され、第1回ワールドカップ出場。 また、日本代表の主将も務める。現役引退後は、日本国土開発株式会社ラグビー部の監督に就任し、関東1部リーグにチームを昇格させるが、国土開発の会社更生法施行に伴い、ラグビー部が解散。その後、吉本興業スポーツ事業部チーフプロデューサーを経て、現在はMIPスポーツ・プロジェクト事務局長を務める。 |
大西 一平 (おおにし かずひら) |
元IBMラグビー部ヘッドコーチ |
大阪工業大学高校で活躍後、ニュージーランドに留学。明治大学から神戸製鋼へ入社。神戸製鋼でV4からV6まで主将を務める等、神戸製鋼の日本選手権7連覇を中心選手として支える。引退後、1996年プロコーチ宣言、その後IBMラグビー部ヘッドコーチに就任し、同チームをトップリーグ昇格に導く。 |
武藤 規夫 (むとう のりお) |
元ラグビー7人制日本代表 |
同志社大学卒業後、神戸製鋼に入社。フランカーとして、神戸製鋼の日本選手権7連覇の中心選手として活躍。また7人制の日本代表にも選出された。現在は、ジュニアを中心にラグビーの指導を行っている。元ラグビー女子日本代表コーチ。 |
天野 義久 (あまの よしひさ) |
元ラグビー日本A代表コーチ |
国学院久我山高校から明治大学、サントリーでフランカー、ナンバー8として活躍。またラグビー7人制では、体格とスピードを生かし日本代表として活躍。プレーヤーとして第一線を退いた後は、コーチとしてオーストラリアコーチングレベル1取得。その後日本A代表コーチ、23歳以下代表コーチ等を務める。 |
萩本 光威 (はぎもと みつたけ) |
元ラグビー日本代表 |
現役時代はSHで同志社大、神戸製鋼で活躍。神鋼では1988年度からの7年連続日本一に貢献する等、黄金時代を築いた。98年にヘッドコーチ就任。翌99、00年度に全国社会人大会と日本選手権の連覇を達成した。03年度はトップリーグ初代チャンピオンに輝いた。04年よりラグビー日本代表の監督を務めた。 |
元木 由記雄 (もとき ゆきお) |
元神戸製鋼コベルコスティーラーズ |
1988年度、大阪工大高2年時に全国大会優勝。明治大でも90、91、93年度と全国大学選手権を制す。94年、神戸製鋼入り。 94、99年の全国社会人大会、94、99、00年の日本選手権制覇に貢献。昨シーズンも神戸製鋼コベルコスティーラーズのトップリーグ優勝の原動力となる。トップリーグでは初代MVP、ベストフィフティーンに選出される。91年、明大2年時に日本代表北米遠征で初の代表入り。以来、不動の12番として日本代表を支え続けている。ワールドカップは4大会連続出場し、日本代表キャップ79の記録を持つ。 |
小村 淳 (こむら あつし) |
元神戸製鋼ラグビー部主将 |
函館有斗高(現函大有斗高)でラグビーをはじめ、1年・2年時に花園出場。3年時は南北海道大会で敗退するも主将として活躍、花園不出場では異例で選出された高校日本代表でも北海道出身者で初の主将を務める。明治大では1年生からレギュラー。3度の大学日本一を経験し4年時には主将。卒業後神戸製鋼へ入社、黄金時代を迎えた強豪で活躍し日本選手権7連覇に貢献。97年から主将を務める。92年、98年のアジア大会で日本代表入りしキャップ数は4。ポジションは主にFL(フランカー)。2003年に現役を引退し明治大学ラグビー部のヘッドコーチを2期務めた。 |
中竹 竜二 (なかたけ りゅうじ) |
元早稲田大学ラグビー部主将 |
高校時代は東筑高校でフランカーとして活躍。早稲田大学では、4年次にキャプテンを務め、フランカーとして活躍し全日本大学選手権準優勝。クラブチーム「タマリバ」のヘッドコーチを務めた後、早稲田大学ラグビー部の監督に就任。現在、日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター。 |
岡野 干城 (おかの たてき) |
高校時代は、大阪工業大学高等学校で活躍、高校日本代表としてスコットランド遠征にも参加した。大学は、帝京大学に進学。その後、現在日本ラグビーのトップリーグに所属している、IBMラグビーフットボールクラブで活躍し、現役引退後は、同チームのアシスタントコーチを務め多くのトップアスリートの指導・育成している。 |
後藤 禎和 (ごとう さだかず) |
1967年生。東京都出身。早稲田大学在学時は、現ヤマハ発動機ジュビロ監督の清宮克幸らとともに大学日本一を経験。卒業後はヤマハ発動機入社。2000年度より早稲田大学ラグビー部コーチに就任。その後、2012年度より早稲田大学ラグビー部監督に就任。現在、NPO法人ワセダクラブの事務局長を務める。 |
陸上競技
渡部 近志 (わたべ ちかし) |
陸上競技110mハードル日本代表 アジア大会金メダル |
法政大学学生時代には、110mハードル関東インカレ、全日本インカレ優勝。1970年第6回アジア大会(バンコク)陸上競技110mハードル金メダル。法政大学では、陸上競技部監督として、イエテボリ・ヘルシンキの世界陸上2大会で銅メダルを獲得した為末大ら多くのアスリートを発掘、指導した。元法政大学経済学部教授。 |
金 哲彦 (きん てつひこ) |
ニッポンランナーズ理事長 |
早稲田大学では箱根駅伝5区山登りのスペシャリストとして活躍。リクルート入社後昭和62年別府大分毎日マラソン3位。平成7年リクルートランニングクラブ監督就任。平成9年にはアトランタ五輪での実績に対して「ミズノ・スポーツメントール賞」を受賞。指導暦は、バルセロナオリンピック女子マラソン銀メダル、アトランタオリンピック女子マラソン銅メダルの有森裕子、広島アジア大会女子10000m銅メダルの五十嵐美紀など。 アテネオリンピックではランニングのコーチをしている中西真知子がトライアスロン代表として出場。 現在は、マラソン、駅伝をはじめ多くのテレビ、ラジオでの解説も務める。 |
新宅 雅也 (しんたく まさなり) |
ロサンゼルス、ソウルオリンピック出場 |
日本体育大学、SB食品で長年に渡り日本のトップランナーとして活躍した。3000m障害、5000m、10000m、日本選手権では距離4種目で13度優勝(歴代最多記録)、また3000m障害、5000m、10000mでは日本記録(当時)も残している。日本代表としても、3度五輪代表に選出され、モスクワオリンピック(3000m障害、5000m※ボイコットの為不参加)、ロサンゼルスオリンピック10000m16位、ソウルオリンピックマラソン17位の記録を残す。 現在も、10マイルの世界最高記録を保持している。 |
山田 明仁 (やまだ あきひと) |
神戸アスリートタウンクラブ副理事長 元大阪ガス陸上競技部副監督 |
現役時代は、400mで日本選手権優勝、アジア大会では4×400mリレーの日本代表として出場。 大阪府代表として国体に10度出場。大阪ガスでは、多くの日本代表選手を指導。 |
笠井 淳 (かさい あつし) |
元陸上競技短距離ブロック日本代表コーチ |
現役時代は10種競技で、多くの日本タイトルを獲得。1979年のアジア大会10種競技では日本の混成競技史上初の優勝を遂げる。 指導者としては、アトランタオリンピック短距離ブロックコーチを始め、陸上競技短距離のコーチ、東京ヴェルディ1969等他のスポーツへのランニングクリニックも行っている。 |
高橋 和裕 (たかはし かずひろ) |
添上高校で100m10秒24のジュニア日本記録、200m20秒59の日本記録(当時)を樹立。早大、クレーマージャパンでもアジア選手権4×100mリレー2位をはじめ国内のトップ選手として、全日本学生選手権、日本選手権等で活躍。インターハイ3冠(100m、200m、4×100mリレー)と100mジュニア日本記録10秒24は未だ破られていない。 |
鈴木 秀司 (すずき ひでじ) |
アジア選手権棒高跳び銅メダリスト |
日本大学学生時代は、全日本学生選手権を優勝し、主将として全日本インカレも総合優勝(主将)した。その後、全日本選手権優勝、アジア大会では、銅メダルを獲得する等、活躍した。引退後は、養護学校の講師を経て、高知県で「体育の家庭教師」という新しいスポーツシーンを創造し、子どもから大人までの幅広い年齢層の方々のスポーツ指導を行っている。 |
森長 正樹 (もりなが まさき) |
バルセロナ・シドニーオリンピック出場 |
高校時代は、インターハイ2連覇また、高校日本記録を樹立。卒業後は、1992年のバルセロナオリンピック、1997年 ・1999年の世界選手権、 2000年 シドニーオリンピック等数々の世界大会に、日本代表として出場。また、1998年 のバンコクで開催されたアジア大会では、金メダルを獲得した。 |
不破 弘樹(ふわ ひろき) |
渡邉 高博 (わたなべ たかひろ) |
バルセロナ五輪出場 早稲田大学競走部コーチ |
愛媛県新居浜東高校を卒業後、早稲田大学へ進学。学生時代はに、学生の400mの歴代5位の記録を残す。1992年には、バルセロナオリンピックに出場。400mの日本代表として活躍した。 引退後は、陸上競技のクリニックや母校の早稲田大学のコーチを努める等、多くのアスリートを指導。 |
井上 悟 (いのうえ さとる) |
バルセロナ・アトランタ五輪出場 |
1989年の高知インターハイで100m・200mの二冠を達成。 1991、93、95、97年世界選手権代表。 オリンピックは1992年バルセロナ大会、96年アトランタ大会に出場。バルセロナでは4×100mリレーで6位入賞メンバーとなった。1991年、関東インカレの100m予選で10秒20の日本新記録(当時)を樹立。1993年には200mでも20秒72の日本新。また、1991年から97年まで五輪・世界選手権の400mリレーメンバーとして活躍した。 |
市河 麻由美 (いちかわ まゆみ) |
世界陸上出場 元三井住友海上火災陸上部 |
1999年世界陸上出場。2000年北海道マラソン優勝など数々のレースに参加してきましたが2003年春現役引退。引退後に NSCA公認パーソナルトレーナーや日本赤十字社救急法救急員、FTP公認ベーシックマットピラティスインストラクター の資格を取得し、ランニングアドバイザーとして多方面で活躍中。 |
朝原 宣治(あさはら のぶはる) |
北京五輪銅メダリスト |
兵庫県神戸市出身。中学時代はハンドボール部に所属し全国大会に出場。高校3年時には走幅跳でインターハイ優勝を果たす。1993年の国体で100mの日本記録を出し優勝。1996年には10秒14、1998年には10秒08と日本記録を3回更新した。またオリンピックの100mには1996年のアトランタから3回連続出場し、アトランタでは準決勝に進出。そして世界陸上の100mでは2007年大阪大会を含め4度の準決勝進出。また4×100mリレーでは2004年アテネ五輪で4位入賞、2007年世界陸上大阪大会ではアジア記録・日本記録を打ち出し5位入賞を果たしている。そして、2008年北京オリンピックでは、男子4x100mリレーで銅メダルを獲得した。 |